こんにちは!
週末の空模様から雨上がりな今朝でした。結構涼しい。涼しというか若干冷える。そんな気候。こういう時は体調を崩しやすいので気を付けないといけないですね!そう言いながら布団かぶって寝てて夜中に冷えて目を覚ます今日この頃です。
小説徳川家康も9巻まで読了しました。次巻からはついに二桁の大台に乗ります!3ヶ月で9冊。月3冊ペースとなかなかの好調ですね。このペースでいけば大河ドラマより先に読み終えられそうです。
そんな大河は今は武田家とのやりとりのところ。ペース的にどこまでやるんだろうとちょっと気になります。9巻は秀吉と柴田勝家との戦の決着がついたところまででした。家康に特化すればこういったところは省けそうなのでやっぱり鯛の天ぷらまでやるのかな。
小説に話を戻してと。この巻では家康のことは出てくるけど、やっぱり秀吉と柴田勝家のことが重点だったので家康のイメージがちょっと弱かったりします。それで、その秀吉と勝家ですが、これはもう一言な感じですね。意地と意地とのぶつかり合い。それに尽きます。
意地というのは本当に難しいものだなと思いました。この小説では武士の意地とは悲しいものだと描かれてました。意地を通したが故に柴田勝家は城を枕に討たれることとなってしまいます。天下人と言っても差し支えがない状態にある秀吉に降ることは恥ではないです。それでも勝家は秀吉の下につくことは出来ぬと意地を通ることとなりました。
なのでこれは秀吉の国取りというよりも、勝家の意地を通したが故の戦とも言えますね。そこまでして通さなければいけない意地とはなんなのかと思います。小説の中のお話だと秀吉に頭を下げることが出来ないという風にしか取れなかったので。
意地を通して散ることこそが武士の本懐と思うか、泥水を啜ってでも生き続けいざ再戦の時を待つのか。どちらも武士の生き様だとは思いますね。
勝家のことは例としては大袈裟ではありますが、意地を通すということはそこに付随する不利益を受け入れるということでもあります。いじっぱりが故に損をする。なんてことはそこら中で目にかけることだと思います。
それなら馬鹿だと思われても意地を張らずに受け入れた方のがいいのではないかとも思いますね。ただし自分の尊厳を傷つけられるようなことに関しては別ですが。
その上で思うのはそれでも意地を通すことが大事な時とは、それほどのことなんでしょう!まさに命のやりとりです。ただ意地を通すとはそれくらい重たいことなんだと思いました。
柴田勝家の散り様から意地を通すということの重さを感じました。僕自身いじっぱりな時があるので、意地を通すとはそれほどのことなんだと肝に銘じておきます。