こんにちは!
やっぱり撮ってて楽しいねんどろいど。デフォルメされた形がスケール差を感じさせないから自由度が上がるのかな。普通のフィギュアよりも撮る時に大きさなどを考えていないように感じます。
昨日からお世話になっている方から紹介された本を読み始めています。
その方曰く、僕がフィギュアを買ったり集めたりすることを正当化出来ることが書いてある。とのこと。kindleなら本の到着を待たずしてその場で読めるのが便利ですね。会の最中だったので流石にその場で読み始めたりはしませんでしたが。
半分くらい読んで仰ってた意味が何となく分かりました。結局のところ自分が価値があると思って、それで遊びたい!それを使ってみたい!って自分が思うから買いたい!って思うんだなって感じました。結局のところ他人からどう思われるかという事自体は意味がなく自分がやりたいからやる!という事が大事であり、それを手に入れたりする方法としてお金があるんだなって思いました。
それはフィギュアよりマンガとかの方が分かりやすいなって思いました。
マンガを、特に新しく買い始めるマンガを、買う時って読んでみたい!楽しみたい!って気持ちが強くてその行動の過程として買ってきて読んで、時には面白くないマンガもあるけど、その行動の結果として楽しんで妄想したりあれこれ考えたりします。
まだマンガなんて読んでるのって声を聞くこともありますが、その声に耳を傾けることに意味はないなって思いました。なぜなら趣味として僕が楽しみたいからマンガを読むんです。つまりは自分で完結すること。だからマンガに限らずフィギュアも自分が楽しむという一点において完結することが大事なのかもしれないって思いました。
もちろんSNSにアップしたりして同好の人たちと意見交換したりするのもアリだと僕は考えます。この本の著者の方はそれも無くてもいいというようなことを書いてましたが。ただ同じ趣味の人たちと話すのも結果として自分が楽しいからそうするだけだよなって思いました。
で、自分のフィギュアの写真について考えてみると、多分SNSに上げてなくてもやり方は変わっているかもしれないけど撮ってるよな~って思いました。だから僕は完全なる趣味としてフィギュアを買うし、撮影するんだなって。撮影してその写真を見返して上手く撮れたな~って思って、また撮影して、、、結局自分の中で完結出来ることだったなって思います。
ただ外で撮るきっかけはツイッターだったからやっぱり知るきっかけとしてこういったツールも必要だなって思いました。
(半ばこじつけのような正当性だね)
(要するに楽しいことはやめられない!ってことだよ)